After the Fracture 骨折元年

人生初の骨折を画期として、以後の時代の紆余曲折を綴ります。

病院到着

 救急車はいつの間にか到着していました。

 

 おそらく職場の近くの消防署の出張所から駆け付けてくれたのだと思います。3名くらいの救急隊員に担架に載せられ、そのまま車内へ。迅速に移動してもらいましたが、骨折直後の右脚に振動が容赦なく響きます。

 整形外科ならS病院だということで、隊員が搬入の可否を病院に照会している隣で、促されて抱えた鞄からスマートフォンを取り出し、職場に呻き声で一報を入れました。

 現場から病院まで徒歩10分弱の距離なので、あっという間に入院先に到着。救急処置室に運び込まれました。救急車の台車から病院の台車への移動は、ここでも右脚の激痛とともにありました。

 

いつの間にか救急隊員の姿は消え、部屋の横にあるらしい外来の診察室から、医師と患者の声が聞こえてきます。しばらく待たされたのち、廊下向かいのレントゲン室へ。

台車から撮影台への移動でも、また激痛に堪えなければなりません。しかも、硬いレントゲン台の上で、折れた右脚の向きを変えつつ数枚撮ります。大人になってから、これほど言葉にならない大声で喚いたのは初めてのことかもしれません。そうしている間にも、レントゲン技師は粛々と撮影を進めます。今にして思えば、そのときの苦痛に歪む自分のポートレートも撮って欲しかった気がします。

 

 地獄のような撮影のあと、台車に載せられたまま診察室へ移動しました。40代後半くらいの眼鏡をかけた大柄の男性医師が、レントゲン写真を前に座っています。そこに写る自分の右脚は3カ所折れているように見えました。後で名前を知ることになる、太い脛骨の上部と下部(螺旋骨折なので実際には一つに繋がった骨折箇所でした)、それにその外側に位置する細い腓骨の上部が一カ所。すべて斜めに破断しています。ちょっと転んだだけなのに、この派手な状態。自分の脚とはいえ、見るに堪えません。

 

医師曰く、この折れ方だと、ギプスによる固定ではなく、脛骨の中に金属の棒を入れて固定する手術が必要であり、術後のリハビリを含めて6週間の入院となるとのこと。本当は自分は休みだったけど、明後日金曜日に手術しましょうと、医師のご厚意で手術日も決まりました。術後3週間で松葉杖歩行、6週間で自立歩行が可能になる段取りです。

想定したより長期の入院です。それなのに腓骨の方は特に処置なし。ちょうど前日、年末年始の帰省に伴う交通手段の予約を終えていたことから、その可否について聞いてみたところ、多分大丈夫でしょうとのこと。今思えば、医師は札幌市内での帰省と勘違いしていたのかもしれません。

 

 午後にならないとベッドが空かないとのことで、診察後は先ほどの救急処置室で一人待機。痛み止めの座薬で少しは紛らわされているはずの痛みのなかで、仕事のことやら休みのことやら、自分には訪れないことになった極近い未来について、思いを巡らせました。

 そのうち、次長と総務係長が来院。こちらからは事の顛末と今後の見通しについて伝え、労災保険と勤怠上の取扱い、逆に病欠中の給与の取扱いについてお話をいただきました。入院中も時々思ったことですが、一人暮らしの身にとっては、職場に近い病院は本当に有難いものです。 

 

命綱のスマートフォンの充電ケーブルとプラグの手配を引き受けていただき、二人は職場に帰っていかれました。自分は台車に載せられたままま午後に病室入りしました。