After the Fracture 骨折元年

人生初の骨折を画期として、以後の時代の紆余曲折を綴ります。

入院から手術までの二日間

 病院自体は、6階建ての年季の入った建物なのですが、スタッフや患者も多く、外から想像するより活気のある雰囲気でした。病室は3階の廊下突き当り左手にある角の三人部屋で、自分のベッドは手前の出入口寄りです。隣のベッドは空きで、その隣の最奥のベッドには60歳前後の男性患者がいました。

 

 ベッドはセミシングルサイズというのでしょうか、シングルよりやや狭め。背もたれ部分の昇降は手動式です。枕はパイプ枕で、肝心のマットレスは薄手ですが、意外にしっかりしたボリューム感がありました。その上に、包帯を巻いた右脚を載せる水色キルティングに覆われた枕のような台があり、ベッドの柵にはベージュのランドセルのような電動の冷却マシーンが掛けられています。そこから掃除機のような蛇腹の管が延び、その先端についたエイリアンの寄生体のような平らなジェル状のカバーが右脚を覆います。

 

 この環境で、自分は仰向けのまま寝返りを打つこともできず過ごすことになりました。骨折の痛みもさることながら、手術までの二日間、同じ姿勢での寝たきりは大変な苦痛でした。特に、上体を起こしたときに重心となる臀部が痛くなり、両肘も擦れてきます。これが悪化するといわゆる褥瘡(床ずれ)になるわけです。父方の祖母が晩年パーキンソン病で寝たきりだったことや、D・フィンチャー監督の『セブン』での一場面を思い出しながら耐えていました。

 

 手術前日から、手術に関する説明が立会い予定の看護師や麻酔科医からあり、同意書などにサインをしました。今回、初めての入院そして手術ということで、自分としては不安や恐れ以上に、大いに好奇心を刺激されていたのですが、それらが済んでゆっくりしていると、それまで大して現実味を感じずにただ痛がっていただけにもかからず、自分の周りが着々と手術というものへ進行していくのが、急に恐ろしくなり泣けてきました。

 

 命に関わるような手術でもなく、折れたままの骨を金属で固定するだけの、極めて前向きでリスクの少ない手術であるにもかかわらず、不可逆的な運命への恐れとでもいうものによって、不意に涙が出てきたことに自分でも戸惑いました。人生の節目で現れる○○ブルーという言葉がありますが、自分にとってこの数分は、手術ブルーだったといっていいと思います。

 

 一方で、これまであまり意識もしてこなかった、自分の身の回りで手術を受けてきた経験者の方々に、自然と尊敬の念を抱くことができました。併せて、学生時代、自分が友人たちと海外旅行中、父が心臓手術を受けていことを思い出し、今更ながら申し訳なく思いもしました。